BlueCastle

私リフィアが日頃思うことなどを書いているブログです。

海風型(改白露型)から設計変更により誕生した駆逐艦

1935年(昭和10年)9月7日、佐世保海軍工廠である駆逐艦の建造が開始された。計画時、舞鶴要港工作部で建造される予定の同型艦に『大潮』の名が与えられている(その後、1936年8月5日に起工)。
同時期、同じく佐世保海軍工廠で白露型駆逐艦4番艦『夕立』が建造の最終段階に入っていた(翌年、1936年1月7日竣工)。
当初の計画では、改白露型駆逐艦(実際に竣工したのは7番艦『海風』~10番艦『涼風』)として計画が進められていたが、日本は同時期にロンドン海軍軍縮条約から脱退していた。そのこともあり、当初は14隻作られるはずであった改白露型駆逐艦は4隻で建造を中止。10隻は設計変更されて建造されることとなった。

DSCF5726.jpg
改白露型より設計変更されて10隻が建造されたのが『朝潮型駆逐艦』であり、そのネームシップが1番艦『朝潮』である。

艦歴
1935(昭和10)年9月7日:起工(佐世保海軍工廠)。
1936(昭和11)年12月16日:進水(佐世保海軍工廠)。
1937(昭和12)年8月31日:就役 (佐世保鎮守府に配属。同鎮守府警備戦隊に配属)
1937(昭和12)年10月31日:第25駆逐隊に編入(所属は他に、同日竣工の大潮、満潮)、翌年1月13日に『荒潮』編入。
1937(昭和12)年12月29日:中支方面で活動後に帰投。タービン翼の破損が見つかり、同型艦とともに改造工事を受ける。
1939(昭和14)年11月1日:横須賀鎮守府へ転籍。同日附で第8駆逐隊と改名。第二艦隊第二水雷戦隊へ編入。
1941(昭和16)年7月30日~8月14日:第二水雷戦隊旗艦に就役。
1941(昭和16)年12月:太平洋戦争開戦当時、マレー第一次上陸作戦、リンガエン湾上陸作戦を支援
1942(昭和17)年1月:アンボン、マカッサル攻略作戦に従事する
1942(昭和17)年2月中旬:第一根拠地隊の指揮下でバリ島攻略作戦に参加
1942(昭和17)年3月25日~4月15日:内地帰投後、横須賀で修理を受ける。
1942(昭和17)年4月10日:修理中、第二艦隊第四水雷戦隊へ編入。
1942(昭和17)年6月上旬:ミッドウェー海戦に参加。
最中に戦没した重巡洋艦『三隈』の乗員を救助、『最上』を護衛して戦線を離脱。14日にトラック泊地へ到着。
工作艦『明石』によって応急修理を実施後、6月29日に出航。水上機母艦『能登呂』を護衛し7月9日に佐世保へ到着。
1942(昭和17)年7月9日~25日:佐世保海軍工廠で修理
1942(昭和17)年11月1日:(第八艦隊編入後)ガダルカナル島輸送作戦(鼠輸送/東京急行)に従事。
1942(昭和17)年11月12日~:第三次ソロモン海戦に参加
1943年(昭和18年)2月21日:(20日の敵国潜水艦による雷撃により)姉妹艦『大潮』戦没。
1943年(昭和18年)2月28日~:第三水雷戦隊の一員として第八十一号輸送作戦に従事
1943年(昭和18年)3月3日:ビスマルク海海戦において戦没
1943年(昭和18年)4月1日:除籍。第八駆逐隊解散、1隻残った満潮は第二十四駆逐隊に転籍。朝潮型から満潮型へ改訂される

5年余りの艦生。後年、朝潮型から設計変更により19隻が建造される『陽炎型』、さらなる設計変更で誕生した『夕雲型』には1年にも満たずに海へ没した駆逐艦が多かった中では、まだ長い艦生だったのだろうか。

DSCF5727.jpg
部品の内容

DSCF5729.jpg
50口径12.7cm連装砲 3基6門

DSCF5730.jpg
25mm機銃 Ⅱ×2(機銃台)

DSCF5731.jpg
探照灯台・艦橋

DSCF5733.jpg
艦低部分及び艦体部分。錘は既に接着済み。駆逐艦はある程度構造体的には出来上がっている。

つづきを表示

スポンサーサイト

PageTop

第二水雷戦隊旗艦を務めた重巡洋艦

ガダルカナル島の戦い(第二次ソロモン海戦)の最中(1942年8月下旬)、それまで(外南洋部隊)増援部隊である第二水雷戦隊旗艦を務めていた軽巡洋艦『神通』が中破し戦線離脱、旗艦を駆逐艦『陽炎』に移していた。しかし、外南洋部隊指揮官の判断により、第二水雷戦隊旗艦を、駆逐艦『陽炎』から、支援部隊より配置転換されていた、ある重巡洋艦へ移された。

DSCF5683.jpg
青葉型重巡洋艦二番艦『衣笠』である。
尚、同年8月31日、増援部隊を率いていた二水戦司令官の更迭・交代(後任は第三水雷戦隊司令官)により、旗艦の任を解かれ、外南洋部隊支援部隊へ復帰している(後任の二水戦旗艦は軽巡洋艦『五十鈴』)。

艦歴
1924(大正13年)年1月23日:起工(川崎重工業神戸造船所)
1926(昭和元)年10月24日:進水(川崎重工業神戸造船所)
1927(昭和2)年9月30日:竣工。佐世保鎮守府に所属。
1927(昭和2)年10月30日:横浜沖大演習観艦式(御召艦:比叡)に参加
1927(昭和2)年12月1日:第五戦隊に配属、同日付で戦隊旗艦に就役(所属は本艦及び、青葉、加古、古鷹)
1928(昭和3)年12月4日:御礼大特別観艦式(御召艦:榛名)に参加
1930(昭和5)年12月1日:予備艦となる
1932(昭和7)年12月1日:第五戦隊に編入
1933(昭和8)年5月20日:第六戦隊に編入(所属は他に、青葉、加古)
1935(昭和10)年11月15日:第七戦隊に編入(所属は他に、青葉、古鷹)
1936(昭和11)年10月29日:神戸沖の観艦式(御召艦:比叡)に参加
1936(昭和11)年12月1日:予備艦となる
1937(昭和12)年9月~1940年10月:近代化改修実施
1941(昭和16)年3月1日:第一艦隊第六戦隊に編入(所属は他に、古鷹、加古、青葉)
1942(昭和17)年5月上旬:珊瑚海海戦に参加
1942(昭和17)年8月8日~9日:第1次ソロモン海戦に参加。
1942(昭和17)年8月10日:第一次ソロモン海戦後にガビエンヘ向かう最中、米国潜水艦S-44の雷撃により、準姉妹艦『加古』戦没。
1942(昭和17)年8月28日~31日:第二水雷戦隊臨時旗艦に就役
1942(昭和17)年10月11日:サボ島沖海戦により姉妹艦『青葉』大破。準姉妹艦『古鷹』、駆逐艦『吹雪』戦没。
1942(昭和17)年11月1日~4日:外南洋部隊旗艦に就役。
1942(昭和17)年11月10日:第六戦隊解隊(衣笠は第八艦隊直属、修理を要する青葉は呉鎮守府部隊に編入)
1942(昭和17)年11月14日:第三次ソロモン海戦の最中、敵軍航空機の攻撃により戦没。
1942(昭和17)年12月15日:除籍

 1922(大正11年)年8月11日の段階で、一等巡洋艦(重巡洋艦)の艦名として決まっていた『衣笠』の名称。しかし、二等巡洋艦(川内型軽巡洋艦四番艦)として建造が進められていた『加古』の建造が中止。この名称を一等巡洋艦の艦名に流用することが決まり、代わりに宙に浮いた『衣笠』の名称。
 1923年(大正12年)9月18日、4隻目の一等巡洋艦の艦名として『青葉』の名称が決まると、同日付で『衣笠』の名を持つ一等重巡洋艦が川崎重工業神戸造船所にて建造されることがようやく決まり、翌年1月23日に起工する。まだ艦名だけ決まっていた段階でひと悶着あったという、不遇な名称である…。
 起工は衣笠の方が早く(青葉は2月4日起工)、進水から竣工までは青葉の方が早かった…。もし、進水~竣工までも衣笠の方が早かったなら、衣笠型重巡洋艦となり、ネームシップになっていたのだろうか…。

DSCF5685.jpg
パッケージの通り、製造年が古いキットである。ハセガワ(ウォーターラインシリーズ)『日本重巡洋艦衣笠』1/700

DSCF5686.jpg
主砲塔(20.3㎝ 6門)3基を組み立て。
古いキットはプラスチックより加工した際に残る『バリ』と余計なものを削るところから始めなければならず、ひと手間ある。

DSCF5687.jpg
高角砲(12mm×4)及び主砲。

DSCF5689.jpg
後部機銃台。
先に機銃などの細かい部品を取り付けてから、煙突を取り付ける。

DSCF5691.jpg
艦橋部分
細かい部品が仰山ある軍艦模型ならではかもしれないが、多少の部品取り付け位置のずれで取り付けられなかったりすることもある。本当にコンマ1mmなどが出来を左右する、シビアなものである…。

DSCF5692.jpg
後部マスト及び煙突。特にマストは華奢で接着までが一苦労。一発勝負で取り付けることとなる。

ここまで来たら、後は細かいパーツを気にしつつ、艦体に各種部品を取り付けていく作業へと移行する。

つづきを表示

PageTop

飢えた狼というニックネーム

太平洋戦争末期、敗戦一方となっていた中、ある艦隊突入作戦が決行された。
米軍基地が作られていたミンドロ島のマンガリン湾へと艦隊を突入させ、輸送船団及び上陸部隊を砲撃し、作業を妨害するというものである。作戦名は『礼号作戦』。
その作戦は重巡1,軽巡1(大淀),駆逐艦6(霞・朝霜・清霜・萱・杉・樫)の計8隻の艦隊が組まれ、キスカ島撤退作戦などを指揮し『帰ろう。帰れば、また来られるから』という名言を残した木村少将が指揮官となり、駆逐艦『霞』を旗艦としてカムラン湾(ベトナム中西部)から1944年12月24日出撃、26日から27日にかけて作戦は実行された。事実上、この作戦が『日本海軍最後の勝利』といわれている。

DSCF2403.jpg
この艦隊の一隻として参加した重巡洋艦が、妙高型重巡洋艦3番艦『足柄』である。

艦暦
1925(大正14)年4月11日:起工(川崎重工業神戸造船所)
1928(昭和3)年4月22日:進水
1929(昭和4)年8月20日:竣工
1937(昭和12)年5月20日:(イギリス)ジョージ6世戴冠記念観艦式に参加。『飢えた狼』というニックネームがつけられた。
1937(昭和12)年12月11日:台湾東南洋上の火燃島で座礁の米豪華客船『プレジデントフーバー』救援に従事。
1941(昭和16)年12月10日:第三艦隊第十六戦隊旗艦となる。
1942(昭和17)年3月1日:スラバヤ沖海戦でイギリス海軍の艦船三隻を姉妹艦と共に撃沈。
1944(昭和19)年2月25日:第五艦隊第二十一戦隊に所属(レイテ沖海戦後に解散)
1944(昭和19)年12月:礼号作戦(ミンドロ沖海戦)に参加。
1945(昭和20)年2月5日:第十方面艦隊第五戦隊所属となる。
1945(昭和20)年6月8日:イギリス海軍潜水艦『トレンチャント』の雷撃により戦没
1945(昭和20)年6月20日:第五戦隊解散(5月16日にペナン沖海戦で同属の姉妹艦『羽黒』戦没により)
1945(昭和20)年8月20日:除籍

『飢えた狼』というニックネーム、名づけたイギリス側、名づけられた足柄ではそれぞれ解釈は違うものの、歴戦を戦い抜き、そして日本海軍最後の勝利とも言われた礼号作戦成功に寄与するなど、まさに狼のように活躍し続けていたのだろう。
ちなみに、姉妹艦である4番艦『羽黒』のほうが、起工及び進水、竣工(1925年3月16日,三菱造船長崎造船所で起工,1928年3月24日進水、1929年4月25日竣工)が早いようなのだが、順番が逆なのはなぜなのだろうか…。
ちなみに、この名前は現在、DDG-178『あしがら(あたご型イージス艦二番艦)』に受け継がれている。

DSCF2409.jpg
八九式12.7cm連装高角砲 台座接着済

DSCF2407.jpg
三年式2号20cm(20.3cm)連装砲5基10門 砲門装着後

DSCF2411.jpg
艦橋組み立て。

DSCF2413.jpg
機銃部分など。

DSCF2410.jpg
特徴的な煙突部分。

DSCF2412.jpg
細かい機銃部分は気を使います…。

DSCF2415.jpg
船底に錘を装着して、いよいよ本体に部品を取り付けていく作業に突入。

つづきを表示

PageTop

波瀾万丈な艦暦

イギリス・ヴィッカース社にて建造された、初の超弩級戦艦となった『金剛』。
この建造には、日本の技術者たちも立会い、その技術やノウハウを学び、後に持ち帰った技術やノウハウ、そして金剛の設計図を元に、国の機関である工廠と民間造船所2社により、3隻の同型艦が建造され始めた。
川崎造船所(川崎重工業神戸造船所)で3番艦『榛名(起工時は霧島)』
三菱造船長崎造船所で4番艦『霧島(起工時は榛名)』

hiei-1.jpg
そして、イギリスから輸入された資材を元に、横須賀海軍工廠で起工・建造されたのが、2番艦である『比叡』である。
この艦名は2代目であり、先代は金剛型コルベットの二番艦である。つまり、金剛とは2代にわたって姉妹艦となり、建造こそ日本で行なわれたものの、使われた資材などはイギリスからの輸入品であることを踏まえると、やはり関係の深い艦名であるという印象を受けます。

戦艦『比叡』(金剛型戦艦二番艦)艦暦
起工:1911(明治44)年11月4日(横須賀海軍工廠)
進水:1912(大正元)年11日21日(横須賀海軍工廠)
大正天皇ご臨席の下で進水し、また軍艦としては初めて、時の天皇に名づけられた艦となり、艦艇類別等級表に即日登録される。登録されたのは比叡のほうが先で、金剛はその1年余りの後、1913年(大正2年)8月16日に登録されている。
1914(大正3)年8月4日 竣工(横須賀海軍工廠),佐世保鎮守府に配属される。
1929(昭和4)年10月15日~1932(昭和7)年12月31日 第一次改装(呉海軍工廠)
ワシントン軍縮条約の影響によって本艦の第一次改装は中止され、代わりに受けたのは4番主砲の撤去や機関変更など、『練習戦艦』への改装であった。改装工事開始が1番遅れていたのが比叡であったことや、軍縮条約の影響により1隻、制限数に引っかかってしまうため、この措置を行なった模様である。
1931(昭和6)年:(改装途中)横須賀鎮守府へ転属。
1933(昭和8)年1月1日:練習戦艦に類別変更された。
1933(昭和8)5月:御召艦用施設を設置(横須賀工廠)
1933(昭和8):横浜沖大演習観艦式で御召艦を務める
1935(昭和10)年:宮崎、鹿児島行幸で御召艦を務める
1936(昭和11)年:神戸沖特別大演習観艦式で御召艦を務める
1936(昭和11)年11月26日~1940(昭和15)年1月末:大改装実施(呉海軍工廠)
この際に、他の姉妹艦が第一次・第二次で受けた改装を一度で受けており、また、大和型戦艦のテスト艦としての側面もあったとされている。136000馬力・速力29.7ノットの高速戦艦となった。
1940(昭和15)年10月11日:紀元二千六百年特別観艦式で先導艦「高雄」及び供奉艦「古鷹、加古」を据え、御召艦を務める。
1941(昭和16)年 太平洋戦争開戦時、「霧島」と共に第3戦隊第2小隊を編成。特徴である速力を生かし、護衛艦として空母に随伴、真珠湾攻撃やセイロン沖海戦などに参加した。
同年 7月14日 艦隊の再編にともない「比叡」「霧島」は第3戦隊から第11戦隊に編入。
1942(昭和17)年11月13日 第三次ソロモン海戦で戦没。太平洋戦争中に喪失した戦艦となった。
同年 12月20日 比叡の2日後に戦没した霧島と共に除籍。同時に属していた第11戦隊も解隊された。

戦闘に使用されることの無い練習戦艦として、そして最も名誉な任である御召艦の任を何度も務め、その際には切手にも描かれるなど、長門型戦艦および高雄型重巡洋艦と同じくらいに親しまれるなど、不遇な時代でもあり、華々しい時代をも経験した。そして大改装によって他の姉妹艦と同じ戦闘力を取り戻し、その後は姉妹艦に負けず劣らずの活躍を続けた。そして、その大改装では新たに採用される新技術を搭載するなど、後に登場する大和型戦艦のテスト艦としての役割をも担った。その艦生はまさしく波瀾万丈と言えるだろう。

hiei-2.jpg
hiei-3.jpg
説明書及び部品の数々。
この見慣れた部品構成を見るのも、これで最後になるものと思われる。

hiei-4.jpg
今のところ、金剛型戦艦でしかネームプレート?の部品は見かけておらず、加賀に関しても既に加賀の文字が印字された専用のものだった。そして何より、余るパーツは余る。特に25mm三連装機銃は榛名及び金剛のみ装備で、取り付ける数も限られるものと思うが、そのパーツのランナーであるDは金剛型戦艦各艦のキットで2つずつ。これは他のパーツを重複使用するためなのだろうが、この機銃パーツは大量に余った。
そのほかにも他のパーツの関係で余分は多いのだが…。余るものは余る、余らないものは余らない。

hiei-5.jpg
主砲4基のパーツ。

hiei-7.jpg
主砲4基と12.7cm高角砲6基。使用するのは4基のみ。

hiei-8.jpg
艦橋部品。8.25mm機銃などの細かい部品はそれぞれ取り付け済。

hiei-9.jpg
組みあがり、暫定的に船体へ搭載。

hiei-10.jpg
艦橋やら煙突部分やら…

hiei-12.jpg
艦載機。3機作れという説明書だが、カタパルトにどう3機載せるのだ…。

つづきを表示

PageTop

100年目の竣工日

100年前の今日、1915年4月19日…ある2つの艦船が竣工し、海軍に引き渡された。
川崎重工業神戸造船所で建造されていた、金剛型巡洋戦艦3番艦『榛名』

IMGP0017.jpg
そして三菱造船長崎造船所で建造された、同じく金剛型巡洋戦艦4番艦『霧島』です。

榛名の記事に関しては、http://rifianet.blog94.fc2.com/blog-entry-644.html(2014年9月29日記述『今度は、ずっと、隣に…』)をご参照ください。

戦艦『霧島(金剛型戦艦4番艦)』艦暦
1912(明治47)年3月17日 起工(三菱造船長崎造船所)
この前日、3月16日に、川崎重工業神戸造船所(川崎造船所)にて3番艦が起工します。
元は、こちらの艦船に命名される予定の名称が『榛名』でしたが、16日に川崎で起工した『霧島』と名称交換が行なわれ、川崎造船所で建造されるほうが『榛名』、三菱造船長崎造船所で建造されるほうが『霧島』となりました。
1915(大正4)年4月19日 竣工、佐世保鎮守府に配属
1930(昭和5)年 一次近代化改装を実施
同年 10月15日 神戸沖で実施の特別大演習観艦式にお召し艦として参加。妙高型重巡洋艦4隻を先導艦(足柄)及び供奉艦(妙高・那智・羽黒)に据え、主役を務めた。
同年 11月19日~26日 陸軍特別大演習御統裁の際、岡山県宇野港から神奈川県横須賀港まで天皇御乗艦。
1936(昭和11)年 第2次改装が実施される。136000馬力、29.8ノットの速度を持つ高速戦艦となった。
1941(昭和16)年 太平洋戦争開戦時、「比叡」と共に第3戦隊第2小隊を編成。特徴である速力を生かし、護衛艦として空母に随伴、真珠湾攻撃やセイロン沖海戦などに参加した。
同年 7月14日 艦隊の再編にともない「比叡」「霧島」は第3戦隊から第11戦隊に編入。
1942(昭和17)年11月14日 第三次ソロモン海戦で戦没。太平洋戦争中、日本戦艦の中では唯一、米軍戦艦を相手に砲撃戦を行なった戦艦となった。
同年 12月20日 除籍。同時に属していた第11戦隊も解隊された。

IMGP0019_201504191809485ba.jpg
部品の数々。既に金剛と榛名という、2隻の金剛型戦艦を組んでいた身にとって、半ば見慣れている部品構成である。

IMGP0021_201504191810352d7.jpg
主砲部分。照準を合わせるための機器の部品を取り付けるために穴を開ける指示があるが、明確に位置が分かる。
…金剛および榛名もそうなのだけども(第二砲塔及び第三砲塔 の部品)。

IMGP0023_20150419181017f9b.jpg
主砲。思ったのが、これ砲の部分を水平に保って固定するのが難しいのです…。

IMGP0026_2015041918101180e.jpg
艦橋部分(組み立て前)

IMGP0028_20150419181014eee.jpg
艦橋及び2本の煙突部分。
17日はトラブルもあって製作時間が削れたこと、またキリがいいときであったため、艦橋及び主砲、連装砲及び艦載機の製作で終了した。

つづきを表示

PageTop