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BlueCastle

私リフィアが日頃思うことなどを書いているブログです。

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生活のなかの鉄道 ~ローカル線~ 昭和43年制作
蒸気機関車の走る鉄道…その最たる見本は、同じ県内に位置する大井川鐡道なのですが、YouTubeにアップされている、昔の鉄道ドキュメンタリーとかも結構参考になったりするものです。
…何の参考にしたかというと、自分が仕立てたプラレール物語シリーズの動画である『プラレール劇場』のシリーズ作品の1つ"ひばりヶ丘鉄道の一日"でした。実際問題、このひばりヶ丘鉄道の一日自体が、他の方の作品とのコラボ前提の設定をしていたものがスッタモンダになり、極力生かすために作ったという、一癖も二癖もある作品なわけですが…。
大井川鐵道は電車も運行する私鉄。定期列車はほぼ電車であり、嘗ては『走る鉄道博物館』と言われる程、名古屋鉄道や西武鉄道、小田急電鉄で走っていた車両が走っていた時期もあったり、現在では近鉄16000系、南海21000系ズームカー、東急7200系(→廃止された十和田観光電鉄から7200系を譲受)が走り、そしてタンク機(C10-8,C11-227,C11-190)3機とC56-44の計4機の蒸気機関車を運行し、元西武鉄道E31形3機、元大阪窯業セメントいぶき501号、そして自社発注のE10形2機、数えるだけだと計6機の電気機関車を蒸気機関車のサポート役などに運用していたりと、無理をさせず長く維持する方向で走らせている…いかにすごい事かは、実際に見て見ないと分かりませんね…。それを支えるのは一人一人、人の手で支えられているもの…現場の苦労というものも、ドキュメンタリーとかは間接的ながら伝えてくれる。

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動画に見る、蒸気機関車たちの哀愁

YouTubeで見つけた、蒸気機関車末期に制作されたであろうドキュメンタリー作品。

『きかんしゃ慕情~D51・12人兄弟の生涯~』
北海道・苗穂工場で製作された12機のD51形。
そのうちの1機…昭和50年12月24日に運行を終了した、日本最後の蒸気機関車であり、苗穂工場で5番目に製造されたD51形241号機を主役に話が進んでいきます。所々に女性の声で、この241号機の思いを代弁…いうか、機関車自身が話しているかのようなナレーションが、ものすごく哀愁を感じます。話は基本的に、他の11機の足跡を追った取材者が、D51-241にその結果をその都度、報告しながらと言う構成なのでしょう。現役時代の映像や、他の機関車の解体現場の映像を入れていたりと、よりリアルな…生々しいというか…見る側に実直に伝わってくるかのような感じでした。
時代は既に蒸気機関車が終焉に向かう頃。役目を終えて解体された車両も少なくなく、苗穂で作られたD51形も大半が、このドキュメンタリーが製作されたときには解体されています。それぞれ渡った就役先で生涯を終えたもの、何らかの縁があって静態保存されたもの…中でも、最後に生存が確認されていたD51-561号機は、ドキュメンタリーの終わりごろに『解体』と出ていましたが、現在は群馬県川場村にある『川場田園プラザ』で保存。以前はホテルSLと称し、宿泊施設の寝台客車を従えていたようですが、現在では機関車のみに。圧縮空気による動態運転もされていましたが、それを行っていた方が亡くなったために終了…。現在は静態保存機に戻り、余生を送っているようです。終わりごろには、ナンバープレートが外され、形式と番号が白書きされている561号機及び、他の廃車待ちで小樽築港機関区に留め置かれた蒸気機関車群の映像が出ていたり、ドキュメンタリー作成当時は561号機の処遇が明らかになっていなかったりして、予測で解体と書かれたのかもしれません。
主役であったD51-241号機も、保管場所であった追分機関区の火災により焼失・解体という憂き目に。
今は静態保存されて余生を送る機関車たちと、役目を終えて解体されていった機関車たち…何が運命を分けるかは分かりません。当時の配属先の事情であったり、走行中に起きた故障やトラブルだったり…。或いは現役の時の名誉ある運用に使用されたのか何かか…。終始、どこか哀愁を感じます。他の鉄道車両でもそうなのですが、蒸気機関車だと特に。それはやはり、蒸気機関車は何処か、生き物のように感じる部分があるからでしょうか。

動態保存は無論、静態保存でも、それに携わる方々の苦労は多い事だと思います。他人事となって恐縮ではありますが…。
古き時代を伝える生き証人として、乗りに来た人を喜ばせてくれる走る看板として、今の時代を生きる蒸気機関車たちが長く生き続けていただきたい そう願う次第です。

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京急800形引退に寄せ

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京急線に初めて乗ったのは、2009年8月頃。
第1線を退きながらも、まだまだ旧1000形の活躍も続いていた時代。共に普通運用に就く800形は現役真っ盛り。優等運用に就く後輩たちに道を譲りながらも元気に走っていた。
いつしか同時期に作られた元優等車の2000形が引退した後も、変わらず走り続けていた。いつしか新1000形ステンレス車に普通車6連が登場し、800形を置き換えて行った。
京急線にもホームドアが設置されるのに伴い、唯一の4扉車であった800形は対応できなくなり、完全に引退することが決まったのだろう。2019年3月ダイヤ改正で、登場時のカラーに復元された823編成のみ残り、最後の活躍を続けていた。それも6月14日に定期運用を離脱し、16日に団体運用に充当されたのを最後に引退。かろうじて1編成のみ新元号『令和』を迎えた800形も、時代の波に逆らう事だけは出来なかったという事かもしれない。

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高加速性能と片開き4扉構造を武器に、高頻度・高速ダイヤの京急電鉄線を駆け抜けた『スプリンター』800形。乗った機会は少なかったが、あの高加速性能を楽しむことが出来たことは、本当によかったと心から思う。高松琴平電鉄(ことでん)に一部が譲渡された旧1000形や700形と違い、全車が京急線で一生を終える事になるだろう(池袋のあるビルには運転室部分のカットボディが保存されているようだけど)。それでも、自分は京急線に行くたび、800形や旧1000形、そして2000形が来るかもしれないと、ホームで待つかもしれない。来ないのを知ってて、後輩に乗るのだろうけど…。長らく『縁の下の力持ち』として奮闘した800形電車、お疲れさまでした。
2019年6月17日 ACTIO371

最後に、自分が数年前に撮影した京急800形の動画を。
京急品川駅にて

京急川崎駅にて

京急鶴見駅にて(ただしこちらは前後…2000形のエアポート急行がメインの動画…)

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昨年末の記憶から-20171217(1)

全然寝ないまま、十分体を温めて、休むこともないまま、再出撃した早朝。

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撮影目的なのは、上りサンライズ瀬戸・出雲号東京行を筆頭に、EF65PF牽引の貨物列車です。今となってはEF66-100やEF210などのJR世代の機関車が主役となり、EF66-0番台やEF200、そしてEF65PF牽引の貨物列車は、確実にみられる機会は少ないのです。
写真の多くは動画からの抽出です。見にくいですがご容赦ください。
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やがて5時27分、長い長い夜の中を駆け抜けてきた寝台特急『サンライズ瀬戸・出雲』285系14連が堂々14連で4番線に入ってきます。この時間はまだ日が昇ってないので、列車的にはまだ夜なのかもしれません。

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この日、沼津駅4番線に停車したサンライズ瀬戸・出雲のうち、後ろ7両(出雲号)はI1編成だったようです。前夜に常駐基地である出雲の基地を出発。サンライズ出雲号東京行きとなり、岡山まで走行。そこから瀬戸と連結し、東京まで走ってきたのです。日中は東京の車庫で眠り、当夜の下りサンライズ瀬戸号となって、再び東海道線を走ります。
(1日目)出雲市⇒(サンライズ出雲)⇒岡山(サンライズ瀬戸と連結。後ろ7両が出雲)⇒東京
(2日目)東京⇒(サンライズ瀬戸・出雲。前7両が瀬戸)⇒岡山⇒(サンライズ出雲を切り離し。先発)⇒高松or琴平
(3日目)高松⇒(サンライズ瀬戸)⇒岡山(サンライズ出雲と連結。前7両が瀬戸)⇒東京
(4日目)東京⇒(サンライズ瀬戸・出雲。後ろ7両が出雲)⇒岡山⇒(サンライズ瀬戸を切り離し。後発)⇒出雲市
通常だと、出雲として東京へ行った編成は、折り返し列車では瀬戸号となり、高松まで向かう。尚シーズン時などは、琴平まで延長運転を行う。その際には基地まで回送するため、基本的に琴平発ということはないそう。
そして、高松から上り瀬戸号として東京へ向かった編成は、翌夜の折り返しは出雲となる。そうして行路を終えて出雲市に到着後は、回送列車として車両基地へ入区。1編成の1航路は終わる。その日の夜は、前日の出雲として戻ってきた編成に交代…という5編成(JR西日本0番台車3編成、JR東海3000番台2編成)でのローテーションのようだ。
更にシーズンになると、定期列車を追いかける形で『サンライズ出雲91・92号』が運転。その際には285系全5編成がフルで運用される。1編成が故障などで使用不可能となったら…と考えると、臨時の方を運休して定期に充てるのだろう。また、人身事故で当該となってしまった編成は、走行上問題なければ運用されるようで、貫通扉がへこんだ状態で運用されていたということも昨年あったようだ。

MVI_5761 (2)
やがて発車時刻となり、サンライズ瀬戸・出雲は東京へと発って行った。

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昨年末の記憶から-20171216(4)

ほとんど、動画で撮影したものから写真抽出したものです。
沼津駅に戻った自分は、下り普通富士行最終電車やらコンテナ貨物列車を見送り、目的の列車の撮影に備えます。

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やはり貨物列車は結構な速度で飛ばしていきます。怖いのなんのって…。

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その目的の列車とは、沼津23:40発車の寝台特急 サンライズ瀬戸・出雲号 高松・出雲市行です。
JR化より数年のうちに電車化(瀬戸が24系25形客車・出雲2・3号が14系客車⇒285系)され、それによって現在も運転されている、定期では最後の寝台特急です。

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