BlueCastle

私リフィアが日頃思うことなどを書いているブログです。

今度は、ずっと、隣に・・・

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写真は戦艦『金剛』
生まれた場所はそれぞれ違う、4隻の金剛型戦艦(当初は巡洋戦艦)。
ネームシップである1番艦『金剛』は、イギリス・ヴィッカース社の手により建造された。その設計図を元に2番艦『比叡』は海軍工廠、初めて民間造船所に建造をまかされる形となる戦艦として、3番艦は川崎造船所、ほぼ同じ日に三菱長崎造船所に発注・建造され、同じ日に竣工した4番艦『霧島』。

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群馬県の山が由来の、その名前がつけられた、金剛型戦艦3番艦の名は『榛名』。
大破着底状態ながらも終戦まで生き残った戦艦の一隻である。そして、史実では、金剛と最も行動を共にした姉妹艦であった(艦これでよく書かれる組み合わせは、主に2番艦である比叡)。

建造開始:1912年3月16日(川崎造船所) 翌日17日、4番艦『霧島』の建造が三菱長崎造船所で開始
就役:1915年4月19日(同日、霧島も就役)
大破着底:1945年7月28日(江田島湾・小用沖)
除籍:1945年11月30日
解体完了日:1946年7月1日

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部品の数々。28日の夕方に組み立てを開始。

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主砲及び艦橋、煙突などの部品類

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主砲を船体に取り付け、船体と船底を接着。
使用は瞬間接着剤(アロンアルファ)。
上手く使えば、これほど重宝する接着剤はないですねw

既に9隻の艦船模型を作り、同型艦である金剛を組んでいるため、既に部品取り付けなどは手馴れたもの。
前回の失敗の経験を生かし、様々な改良を加えて組み立てを進める。

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28日時点での完成時点(29日0時過ぎ)。
既に完成に近いが、細かい部品を組むのに集中力が続かないことから、これで終了した。

翌29日は本来休みだったものを返上して午前中勤務。
帰宅後の午後に細かい部品の組み込み…最終段階の組み立てを開始。

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厄介なアンテナ類やら後付の砲台に苦戦するなどして、29日の午後、完成した。
最後の仕上げに、他の艦船模型の組み立ての際に余ったパーツから、菊花紋章(大)を装着。元々、榛名および金剛の模型には付属しないが、艦船模型を組むと大量に余るパーツ郡があり、菊花紋章も余っていた。そのため、戦艦の艦首にしては物足りない感じがしたために着目し、他の模型の例を参考に装着した。

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近代化改装を最初に施され、日本戦艦の特徴である櫓上に盛り上がった形状のマスト(パゴダ・マスト)に改められた最初の戦艦ともなった榛名は、巡洋戦艦としての竣工時は27.5ノットだった速力も、近代化改装後は30.49ノットとなり、文字通りの高速戦艦として、姉妹艦と共に名を馳せていた。

1942年2月16日、元々は第4戦隊として同じ戦隊所属であった金剛型戦艦4隻は、金剛・榛名、比叡・霧島でそれぞれ別の部隊に配属となっていたが、ジャワ作戦参加の機動部隊に4隻そろって編入された。その出撃が、4隻そろって出撃した最後の戦いとなってしまう。

同年11月13日、ガダルカナル第2次作戦に参加していた2番艦『比叡』戦没、同月15日に4番艦『霧島』戦没。

残った金剛と榛名は、1944年10月のレイテ沖海戦に栗田艦隊の一員として出撃。
敵軍空母を撃沈するなどの功績を挙げたが、敵軍航空機などの攻撃によって大破し、修理のために帰還する途中に、金剛が敵軍潜水艦の魚雷によって11月21日戦没。最後まで残った榛名は修理後に第2艦隊第1戦隊に編入されたものの、既に出撃できるだけの燃料がなく、武装の大半を取り外されてしまい、主砲を偽装された上で、江田島湾の小用沖に浮き砲台として係留、その場所が最期の場所となってしまった。
1945年7月28日の呉軍港大空襲により、ついに大破着底。既に砲塔の一部しか動かない状態となってしまった榛名には、もう戦う力も残されてはいなかった。
8月6日の広島に原爆が落とされた日、恐らく、榛名にはその原爆を落とす敵軍機、そしてあの雲を見たのであろう…。
最後まで空をにらみ続け、31年以上を戦ってきた戦艦は、1945年11月30日に除籍され、46年7月1日に解体が完了。江田島沖から、その戦姫の姿が消えたのであった…。

艦船の一生は波瀾万丈。それでも与えられた使命を全うすることが、艦船にとっては幸せなのだろうか。
…そういうことを、艦船模型を組むことによりきっかけとし、そして調べてみることによって艦船を知る。そして、そこにまた魅力を感じること、それもまた一考…。そう思うのでした(何 

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満身創痍で帰ってきたソロモンの狼

太平洋戦争末期、もはや動かすことの出来ない艦船の多くは、ほとんどが係留されたまま、浮き砲台の状態となっていた。多くの海戦を僚艦の助けなどによって生き残り、レイテ沖海戦の最中、1944年10月23日にルソン島西方で米国潜水艦ブリームの雷撃を受けて大破。いつ沈んでもおかしくない状態の中で僚艦の曳航によりマニラ港へ移動。同地での応急修理により5ノットでの航行が可能となったこの艦船は、11月6日にサンタクルーズを出港、12月12日に、命かながら、呉軍港に帰還した。
しかし、修理も出来ないまま防空砲台として係留され、大破着底した状態で終戦を迎えた。

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その艦船の名は、(青葉型重巡洋艦)青葉である。
進水:1926年9月25日
竣工:1927年9月20日
(当初は古鷹型3番艦として計画されたが、様々な点で改良などがされたため、青葉型1番艦となった)
大破着底:1945年7月28日
除籍:1945年11月20日
解体完了日:1947年7月1日

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一日目に組んだ部品。煙突やら主砲やら…。艦橋も途中まででストップした。

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2日目は艦橋の組み立てから着手。
一部の部品取り付けは容易でなし。
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船体の組み立て。分割方式という、難儀な方式。
瞬間接着剤を使って組みますが、今回はなかなか上手くいきませんでした。

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そして、艦橋などを瞬間接着剤やゴム系接着剤でくっつけ、ピンセットで微調整しながら組んでいき、9月18の深夜に完成。長門の隣へと並べた。

「青葉、見ちゃいました!」
 結構、カメラなどを持ち歩いている感じで書かれている艦娘である青葉。
 しかしながら、史実の青葉は、幾度も危機を乗り越え、多くの僚艦に助けられて、最後には命かながら、何とか呉軍港まで帰ってきた艦船だったんですね…。そして、最後に係留され、大破着底してしまったその場所からは、青葉を助けた僚艦の一隻…ほぼ姉妹艦である古鷹(古鷹型重巡洋艦1番艦)の名の由来にもなった古鷹山が見えたとか・・・。
青葉は、帰還してからあの場所で、古鷹山を見つめて、何を思っていたのだろうか…。

大きさ比べ
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左から 『摩耶(高雄型重巡洋艦三番艦)』、『青葉』、『大淀(大淀型軽巡洋艦)』
若干、船体的には大淀のほうが大きい…?
同じ重巡洋艦である摩耶と比べると、もはや大きさの違いは一目瞭然。
(軽巡洋艦と重巡洋艦の区別は、大砲の大きさで決まっていたため。古鷹型及び青葉型重巡洋艦は、軽量で重武装のコンセプトで建造された艦のよう)

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そこに戦艦である金剛なんて並んだらもうww
…それでも、戦艦では小さいほうなんだよ…多分
自分が組んだ艦船模型で大きさを比較すると…
伊勢>長門>金剛>摩耶>青葉=(ほぼ)=大淀>吹雪=(ほぼ)=雪風>時雨
・・・だろうか。
既に、次に組む艦船模型も決まっていて…ヒントは金剛です。
そして、少なくとも、伊勢・大淀・青葉とも共通点があります。
個人的には結構思い入れ・・・が強い艦船模型なので、きれいに仕上げたいところです。 

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日本海軍最後の連合艦隊旗艦

太平洋戦争前の計画として、潜水艦部隊の旗艦として高速水上偵察機を用いて、最前線での強行視察を行うことを目的とした巡洋艦が計画され、建造された。
この艦船が就役した当時には既に、その計画自体が事実上頓挫しており、搭載する主砲の数も少なく、魚雷発射管も搭載していなかったこの巡洋艦は、同型艦がいないこともあり(計画はあったが、太平洋戦争開戦と同時に建造中止)、連合艦隊の中にあっても、浮いた存在となってしまっていた。

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それが、軽巡洋艦『大淀』である。

しかし、その潜水艦部隊の旗艦として設計された大淀の通信能力が着目され、重大な任務を担う艦として、大掛かりな改造工事を受けた。
大型射出機を撤去した代わりに、従来型の射出機と水上偵察機を搭載、格納庫を司令部施設へと改造することであった。改造後の1944年5月4日から9月29日までの間、大淀は日本海軍連合艦隊旗艦に就役していたのであった。
その後は、艦隊司令部は地上施設の完成と共に丘へ上がったことから、大淀は普通の軽巡洋艦へと戻るのであった。
10月5日に第三艦隊第一機動部隊の一員となった大淀は、第一駆逐連隊及び第三十一戦隊の旗艦及び、艦隊予備旗艦(旗艦は、航空母艦『瑞鶴』)となり、戦場へと出向く。10月25日、レイテ沖海戦の最中、旗艦であった瑞鶴が戦没、直前に旗艦は大淀に移され、28日に旗艦の任が解かれるまで、旗艦の任を担った。
 その後は司令部施設であった区画を物資輸送庫へと改造されて北号作戦に使用されるなどしたが、最後は動力をやられて航行ができない状態となり、江田島湾で浮き砲台となってしまう。1945年7月28日転覆着底、終戦後の11月20日に除籍され、47年に浮揚された後にドッグへ曳航、解体された。艦船として活躍できたのは2年半ほどとなった。

進水 1942年4月2日
就役 1943年2月28日
その後 1945年7月28日に転覆着底
除籍 1945年11月20日

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部品の数々。

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主砲

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1日目に組んだ主砲やら艦橋やらの主要部品。
既に小さい機銃をつける作業などは手馴れたものであった。

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2日目に、船体と船底を組む。今回は瞬間接着剤を使用した。

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使用して失敗したらやり直しの聞かない諸刃の剣である瞬間接着剤だが、上手くやればきれいに仕上がる。

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後の艤装光景は撮影していないため、完成披露へ。
アンテナ部分などに不恰好になってしまった部分があるのは正直否めない。ただ、アンテナのほうが後に取り付けるようになっているこの模型だが、場合によっては説明書を無視して、アンテナを先に取り付けるなどしてしまうほうが楽な部分もあるかもしれない。しかしながら、完全に失敗でもないため、これはこれで完成とした。

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艦隊これくしょんというゲームの影響によって、この大淀という艦船の存在を知った。自身はプレイヤー(提督)ではないため、艦これアンソロなどで見るのみだが、まさかあの事務員のような女性…任務娘が、まさか(艤装をつけていない)艦娘状態の大淀だったとは…。

しかし、この艦船模型の竣工によって、艦船模型の係留地を新たに設けなければいけないという問題に直面してしまった。今の場所だけでは、戦艦3(長門・金剛・伊勢)、重巡1(摩耶)、軽巡1(大淀)、駆逐艦3(吹雪・時雨・雪風)、海上自衛隊護衛艦4(こんごう・きりしま・むらさめ・はるさめ)を収容するだけでいっぱいであり、既にあと2隻を建造する予定のため、既に係留できる場所がない。さて、どうしようかな…。

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砲艦時代のネームシップ

高雄型重巡洋艦三番艦『摩耶』
摩耶という名称は2代目であり、先代は全4隻が作られた砲艦『摩耶型』のネームシップであった。
姉妹艦の名前には、同じ高雄型重巡洋艦の名称になった愛宕・鳥海及び、日本海軍最大の航空母艦の名にもなった『赤城』があった。
ちなみに砲艦『赤城』は、軍艦としては廃船となった後は民間に売却され、1953年に享年61歳という船舶としては長い年月を全うし、解体されている。この名前を引き継ぎ、天城型戦艦2番艦として建造が開始された後に、ワシントン軍縮会議によって建造中止。その後、戦艦2隻を航空母艦に改造することが許可されたことにより、構造変更の上で航空母艦になった『赤城』は、1942年6月のミッドウェー海戦で戦没していることからも、先代の赤城のほうが長く生き残ったという皮肉か因縁めいたものを感じた。
ちなみに、ネームシップである『摩耶』も内務省に移管後に民間に売却され、民間船として使用された後に1932年に解体されている。

話はさておき、その名を継ぐことになった高雄型重巡洋艦三番艦は、世界恐慌の影響で破産寸前であった川崎造船所に建艦体制の維持の観点より軍が介入し、発注された。そして名づけられた艦名が『摩耶』である。
進水:1930年 11月8日
就役:1932年6月30日
戦没:1944年 10月23日沈没、除籍は同年12月30日。

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セットだが、アオシマ文化教材社から発売されている、米国潜水艦とのセット。
この潜水艦『デイス』は、まさしく摩耶を魚雷で沈めた因縁の敵対相手である。このセットを買ってから気づいたのだが、ものすごく因縁の組み合わせで発売したな…アオシマ社、恐るべし。

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なかなかの部品の多さだ…。

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基本的に、ランナーから切り取って使う部品は限られており、結構な数の部品が残る。

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一日目に組んだのは、艦橋やら主砲やらの主要部品や鉄塔の類。
ダンプに乗っているのが鉄塔やらアンテナ。なかなか細かいし苦戦する。

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閑話休題。一部の部品は、戦艦長門と共通らしく、ランナーには『1/700 NAGATO』の刻印が。

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本格的な摩耶本体の組み立ては2日目。
艦中央部分になるが、上の部品を取り付けてしまえば見えなくなる部品。4連の魚雷を片側2つずつ設置。
艦橋などを取り付けると、艦の側面から少し見えるだけになる。

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戦艦などは船底と船体の接着にゴム系接着剤を用いたため。両端を輪ゴムで縛っていたが、今回は瞬間接着剤を使用。そして、船底を船体にはめ込む形であったため、輪ゴムを用いずに固定が可能であった。

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艦橋などを取り付けて、大方の形が見えてきた。
しかし、この艦橋はかっこいいな…。

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完成し、卓上艦隊の基地に着任してきた摩耶。

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付属の米国潜水艦『デイス』及び、B-24爆撃機。デイスはランナーを流用して台に固定する。
ちなみに、B-24も台に固定した状態である。デイスに隠れて、日本海軍13号駆潜艇がいる。
ちなみにタミヤ製でした。
…おい。ここにきてタミヤ製の付属で駆逐艇とかを組ませるとか…気にしてはダメか。

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ハピプリがやってきた(何)

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ハピネスチャージプリキュア!コーデドール.
4人目のキュアフォーチュンまで発売されたので、4人連れてきました。
(入手した場所は通販ではなく、近くの総合スーパーマーケット『アピタ』。ちょうど棚卸しの前日のセールに行ったため、売り上げに貢献するかと…何)

ハピネスチャージプリキュアの一番の特徴、それは通常のプリキュア形態の他に、コーデチェンジで別の形態が存在すること(なんと表現すればいいのやら…)。
それを再現出来るように着せ替え人形の仕様にするのと同時に小さくしたのがこのコーデドールだと、個人的に推測している。

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キュアラブリー&チェリーフラメンコ
髪形もちゃんと再現したものを準備してある。わざわざ髪の部分までを、脱着可能にしてあるのは、やはりハピネスチャージプリキュアの仕様にあわせてあったからか…。

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キュアプリンセス&シャーベットバレエ

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キュアハニー&ポップコーンチア

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そして、キュアフォーチュンDX(キュアフォーチュン&パインアラビアン&あんみつこまち)
…和装形態のがなんだそりゃ?な名前…
こんな感じの顔のキャラが、昔のアニメとかにいそうな気がしなくもなかった。

…まだパッケージから出していないため、先に来たプリキュアコーデドールのオールスターズとは合流していないが、近く、合流させるつもり…です。

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呉の幸運艦

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呉の雪風、佐世保の時雨…

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完成してからしか写真とっていなかったオチ。
とにかく、細かい部品が悲しくなるほど多く、部品をランナーから切り取るのは慎重になりました。それでも、部品は弾みで飛んじまうんだorz
…半ば未完成ですこの雪風。そして、完全なる完成には出来ません…。見た目は完成ともいえますが…。

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陽炎型駆逐艦8番艦『雪風』
生まれ変わった(?)、艦娘の姿は、ミニスカセーラーとかのせいか、たいがい小中学生くらいでかかれる駆逐艦娘だが、下手すれば幼稚園児にも見えかねない容姿をしている雪風。
その雪風が手にしている双眼鏡、その中には雪風が流した涙がたまっているとか…。
ニコニコ静画で雪風が描かれた絵に見られるタグ『その双眼鏡は、涙で満たされていた』
その絵は史実・艦船時代の雪風の艦船時代の一生を物語っているようにも見えて、涙腺が緩んでしまいます。願わくば、完璧な姿でこの雪風を完成させて、他の艦船と一緒におきたかったというところ。

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同じ幸運艦である、時雨(左)と並ぶ。

たった一隻で帰還したこともきっと多かっただろう。だけど、模型艦船であれば、ずっとひとりではない。
『もう、ぜったいにひとりにさせない』
…なんか、そんな思いで雪風を組んだ気がします…。

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現在の模型艦船全艦(うち4隻はコーヒーおまけの1/1180の海自艦。金剛と長門の間がイージス艦こんごう・きりしま。駆逐艦に続けて並ぶのは護衛艦むらさめ・はるさめ)。
手前から2隻目が雪風。一番手前が時雨になります。
…これだけ、仲間がいるなら、さびしくはないよね…。

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佐世保の幸運艦

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建造中の駆逐艦『時雨(白露型二番艦)』
呉の雪風、佐世保の時雨…幸運艦を指すフレーズですが、果たして…

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いよいよ完成段階。駆逐艦の様相。

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1936年9月7日の就役から、1945年1月24日にマレー沖で米軍潜水艦『ブラックフィン』が放った魚雷によって戦没するまでのおおよそ8年間。時には西村艦隊7隻の一員としてスガリオ沖海戦を戦い、他の6隻が戦没していった中でも何とか生き残る。その翌月の11月には、輸送船団護衛中に米軍潜水艦『グロウラー(通称:駆逐艦退治人)』を仲間艦船と共に返り討ちにするなど、少なくともそれまで沈められた輸送船の無念を晴らしていた。

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部品は細かかった。でも、割りに作りやすかった。
…しかし、同じセット同封艦であった、雪風が難敵だったというのは、後述とする。
戦艦と比べれ圧倒的に小さい軍艦ではありますが、その小さな中にも勇ましさというのは見えますね。

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