一番思い出したくない日といわれて、自分は2012年3月16日と答えるでしょう。
その翌日はダイヤ改正の当日です。改正の話題出ると、どうやっても悲しい話題のほうが先に目にはいってしまうという性分ですが、この年のダイヤ改正は…
絶望した!!!(´;ω;`)というくらい、自分にとっては悲しい改正でした。乗り越えていかなければいけないと、分かっていても…。
この発端は、その1ヶ月くらい前でしょうか。
今は亡き、JR東海ツアーズ沼津支店に、あるツアーの問い合わせ。

「もう乗ることは出来ないだろう…」
新幹線に乗る機会があると、その列車には必ずと言っていいほど、300系が充当されていた。
むしろ、700系に乗ったほうが少ないほどだった。あの時の自分にとって『その場所へ行けば必ず会える、近くて遠い親友みたいな存在』それが300系だったのです。
今でも、一番大好きな新幹線を聞かれると100系なのですが、その次は間違いなく300系なのです。0系とどっこいどっこいで…
専門校卒業を境にか、飽きるほど…あれほど多く乗る機会のあった300系が遠ざかっていくかのように、自分が新幹線に乗る機会があっても、やってくる車両は全て700系になっていっていました。
700系が来るたびに、また外れか・・・と思うようになり…でした。
既に定期列車も数えるほどでしたし、いつ乗れるのかは分かったものではありません。そこで、東京及び神奈川のほうで売られていたこのツアーに目をつけたのであった。
ツアー参加のためには『いったん、小田原駅まで上らなければならない』という条件があったものの、乗れることには変わりなかったため、受け付けてもらえることが分かったときには即決でした。

当日の早朝、函南駅から見慣れたE231系に乗車

小田原駅新幹線ホームにて。
こちらも16日に引退する20000形RSE。
同じ300系列車に乗る乗客であろう子供たちがはしゃいでいたので、何かと思ったら、これでした。

これからを担うN700系。
これは回送列車だったので、次の列車を待つ客か、300系団体列車を撮りに来たファンのどっちか。
ホーム先端部分はかなり混んでいました。
そして、300系団体列車が入線。

入線してきた300系団体列車。J57編成

このさよならマークのセンス、素晴らしい…300系らしくて!!(TДT)
…やっぱり、3年たっても、この写真見るとあのときを思い出して涙腺緩むなぁ…

既にJR東海300系の運用は、16日ののぞみ329号(東京→新大阪,全車指定席)…ラストランを除いて全て終了。
このラストラン装飾が施された300系が小田原に入線するのは、この日が唯一だったのでは…。

元のラインを生かした、ものすごくセンスのよく、そして着飾っていないラストラン装飾。
…この日が来るのが、本当に早かったな。

団体列車出発前。後のほうで乗り込んだ際に撮った一枚。
『いつもの光景』にしか見えない。

振り向いて撮ると、それは非日常。
この日しかない光景。

『旅行を楽しもう』そんな気分にもなれなかった。
自分から望んで参加したツアーなのだが、なぜ楽しい気持ちにならないのだろう。
そんなの理由は簡単だ。お別れ乗車だからだ…。

ドア上のLED案内表示機は、そこに文字を流すことは無かった。
自動アナウンスが流れるわけではなく、乗務している車掌の肉声のアナウンスが流れるだけだった。

せめてもの朝食にと出された、カツサンド。ぺらっぺらの乗車券(ツアー参加証)

小田原からノンストップ。
1時間あまりの乗車だったか、あっという間に名古屋に到着した。

名残惜しい気もするが、最後の300系を下車する。
既にダイヤも押していたのだろう。降りてから30秒立たないうちに300系のドアは閉まり、発車していった。
…自分は立ち止まったまま、去ってゆく300系を見送っていた。このときほど、寂しいと思ったことはなかった。

貸切バスに乗り換えるとき、ふと見上げた名古屋駅。
これからもこの駅は、東海道新幹線の主要駅の1つとして、多くの車両を向かえ、そして見送るのだろう…。
その2に続く