BlueCastle

私リフィアが日頃思うことなどを書いているブログです。

戦前戦中、日本で最も愛された戦艦

1946年7月28日から29日の未明にかけて、ある一隻の船が、静かに深海へと姿を消した…。
その船というは、1920年(大正9年)11月25日に竣工した、日本海軍連合艦隊の旗艦を長らく努めた戦艦『長門』である。
 1923年9月に起こった関東大震災の発生を、遠方での試運転中に知った長門は、たくさんの救援物資などを積み込み、大急ぎで被災地へと駆けつけている。長らくは姉妹艦である『陸奥』とともに、戦前・戦中は日本海軍の象徴として親しまれていた戦艦でもあった。
 1945年8月15日敗戦後に、アメリカ軍に接収され、ビキニ環礁で行われた核実験『クロスロード作戦』の標的艦となり、1946年3月18日に、それまで長門が誇りにしていた旭日旗を下ろされ、方や敵軍であったアメリカの旗である星条旗を掲げての出航は、長門にとって屈辱以外の何者でもなかっただろう。
 同年7月1日の第1実験『ABLE』で、同様に連れてこられた軽巡洋艦『酒匂』や、他の標的艦が沈む中でも生き残っていたが、7月25日の第2実験『BAKER』の実験の後、他の標的艦の多くが沈む中で、長門は浮き続けていたが、その4日後、29日の早朝には海上からその姿を消している。この4日間は、自らの沈む様を敵国の軍に見せまいとする、まさしく最後の抵抗だったのだろう。ビキニ環礁の海深く、最後の戦いを終えて68年、もう見ることの無い望郷を瞼に描き、今も深い眠りについている。
・・・ここまでつらつら書いていたが、実は名前だけしか知らず、日本海軍の戦艦の一隻くらいにしか思ってはいなかった。しかし、その26年の生涯を知った際には、もう涙腺崩壊ではすまなかった。
 艦これという、最近流行の擬人化した艦船を育成して、架空の敵艦『深海棲艦』と戦うオンラインゲームをきっかけに知ることになる。多くの人が、その擬人化した姿で史実を描かれており、その絵を見るのだが、同じ事実でも悲しさは倍増・・・余計に、その情景が余計に悲しく思い浮かんでしまうからだろうか。
 だからこそ、艦これのプレイヤー(提督)は、二度とそんな悲しい経験をさせまいと采配し、育成という名の戦力強化、資材を集める遠征任務、建造などで仲間を増やしたりするなど、自身が指揮する艦隊を強化して、海域制覇を目指して戦闘に・・・。そう分かっていても、やっぱり自分には提督は重荷過ぎて出来ない。

どこだ本題は・・・
ほぼ半年くらい前、買った艦船の模型。
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アオシマ文化教材社の出している、1/700の艦船模型のシリーズ『ウォーターライン』
その中の1つ(No.123)『長門1942【リテイク】』を模型店で買い、なかなか組めずにいたが、7月中旬になってようやく見始めた。しかし、難しいね・・・。

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初日に主砲装着まで。しかし、このウォーターラインシリーズというのは、船底と船体が分離した形。

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一度組んだら剥離して・・・瞬間接着剤を流し込み、輪ゴムで縛る。
これはなかなか面倒や・・・。

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艦橋まで組む(実質上の組み立て3日目)。船体後部を接着のために輪ゴムで縛っている。

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何とか完成したのは7月28日の夜。
25日を長門の命日だと思っていたために、それに合わせるように組んでいたが、細かい部品とかに大苦戦して何度挫折しそうになったか…。色を塗っていない、艦載機や艦載艇などは乗せていないなど、完成とはいえないかもしれないが、個人的にはこの状態ででも完成としたい。1/700とはいえ、下手な組み方をしているとはいえ、その堂々とした風格は、まさしく、戦艦『長門』である。
 当時、関東大震災によって悲しみと絶望に包まれた被災地の人々にとって、救援物資を持って駆けつけてくれた、この長門は一種の『希望』に似た存在であっただろう。その復興の様子を見守ることが出来たものの、東京大空襲によって焼け野原となった被災地の復興を見届ける事はできず、方や出撃したまま戻らない仲間を案じながら、自身も深手の傷を負いながら、二度と戻れぬ死出の旅へ、勝つことの出来ない最後の戦いへと向かい、そして散華していったこの戦艦は、今でも形を残し、ビキニ環礁で深い眠りについている。
 願わくば、艦これの世界で『艦娘』として生まれ変わり、先に散った妹である同型艦『陸奥』や他の艦娘たちとともに、長く愛され続けてほしいと願う。戦前戦中の日本海軍の象徴となり、長らく愛されたその戦艦は、ゲームの中で人型へと姿を変えたものの、その戦艦たる堂々とした風格を、そして凛とした姿で、今を生きる姿となっているのだから・・・。

7月30日追記:もはや何だこの文章である…。
現在、艦これの小説を書いています。その中でも重要なキーとして、長門と陸奥は出てきます。

・・・姉妹艦であった陸奥が、1968年に着工して1969年6月12日に進水した原子力船の名称に起用(その後、1993年に原子炉を捨て、ディーゼル・電気複合動力の船となり、海洋地球研究船に改装され『みらい』へ改名)されたのに対し、長門の名が海洋に浮く事はない(陸奥の名に関しても、原子力船だった際の記述に、戦艦の名として起用されていた旨の記述はない)。やはり、今でも戦争の傷を引きずっているということなのだろうか・・・。
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