BlueCastle

私リフィアが日頃思うことなどを書いているブログです。

満身創痍で帰ってきたソロモンの狼

太平洋戦争末期、もはや動かすことの出来ない艦船の多くは、ほとんどが係留されたまま、浮き砲台の状態となっていた。多くの海戦を僚艦の助けなどによって生き残り、レイテ沖海戦の最中、1944年10月23日にルソン島西方で米国潜水艦ブリームの雷撃を受けて大破。いつ沈んでもおかしくない状態の中で僚艦の曳航によりマニラ港へ移動。同地での応急修理により5ノットでの航行が可能となったこの艦船は、11月6日にサンタクルーズを出港、12月12日に、命かながら、呉軍港に帰還した。
しかし、修理も出来ないまま防空砲台として係留され、大破着底した状態で終戦を迎えた。

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その艦船の名は、(青葉型重巡洋艦)青葉である。
進水:1926年9月25日
竣工:1927年9月20日
(当初は古鷹型3番艦として計画されたが、様々な点で改良などがされたため、青葉型1番艦となった)
大破着底:1945年7月28日
除籍:1945年11月20日
解体完了日:1947年7月1日

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一日目に組んだ部品。煙突やら主砲やら…。艦橋も途中まででストップした。

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2日目は艦橋の組み立てから着手。
一部の部品取り付けは容易でなし。
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船体の組み立て。分割方式という、難儀な方式。
瞬間接着剤を使って組みますが、今回はなかなか上手くいきませんでした。

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そして、艦橋などを瞬間接着剤やゴム系接着剤でくっつけ、ピンセットで微調整しながら組んでいき、9月18の深夜に完成。長門の隣へと並べた。

「青葉、見ちゃいました!」
 結構、カメラなどを持ち歩いている感じで書かれている艦娘である青葉。
 しかしながら、史実の青葉は、幾度も危機を乗り越え、多くの僚艦に助けられて、最後には命かながら、何とか呉軍港まで帰ってきた艦船だったんですね…。そして、最後に係留され、大破着底してしまったその場所からは、青葉を助けた僚艦の一隻…ほぼ姉妹艦である古鷹(古鷹型重巡洋艦1番艦)の名の由来にもなった古鷹山が見えたとか・・・。
青葉は、帰還してからあの場所で、古鷹山を見つめて、何を思っていたのだろうか…。

大きさ比べ
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左から 『摩耶(高雄型重巡洋艦三番艦)』、『青葉』、『大淀(大淀型軽巡洋艦)』
若干、船体的には大淀のほうが大きい…?
同じ重巡洋艦である摩耶と比べると、もはや大きさの違いは一目瞭然。
(軽巡洋艦と重巡洋艦の区別は、大砲の大きさで決まっていたため。古鷹型及び青葉型重巡洋艦は、軽量で重武装のコンセプトで建造された艦のよう)

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そこに戦艦である金剛なんて並んだらもうww
…それでも、戦艦では小さいほうなんだよ…多分
自分が組んだ艦船模型で大きさを比較すると…
伊勢>長門>金剛>摩耶>青葉=(ほぼ)=大淀>吹雪=(ほぼ)=雪風>時雨
・・・だろうか。
既に、次に組む艦船模型も決まっていて…ヒントは金剛です。
そして、少なくとも、伊勢・大淀・青葉とも共通点があります。
個人的には結構思い入れ・・・が強い艦船模型なので、きれいに仕上げたいところです。 
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