BlueCastle

私リフィアが日頃思うことなどを書いているブログです。

古の戦いに思いをはせて…長浜城址(後編)

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『第二曲輪(くるわ)と堀』

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発掘されたものであろう、当時から残るであろう堀。

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第一曲輪へつながる階段…もとい櫓(やぐら)。
ここから当時の軍艦である『安宅船』を置いてあったであろう船着き場まで下りる場所がある。

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櫓を上った先にある、第一曲輪と塀に関する記述のある看板。
長浜城址で最も高いところにある、この第一曲輪。
ここから対岸にあった(敵の居城)三枚橋城を見張り、そして水軍を指揮した場所と言われている。
城主が居住していた建物は、この第一曲輪にあったのだろうか…??

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対岸となる三津付近を眺める。

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忘れ形見のように立つ一本の木。

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『ラブライブ!サンシャイン!!』に出てくる「浦の星女学院」こと、沼津市立長井崎中学校。
流石に緑の向こうでよく見えん。

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展望施設によくある『この方向に○○が見える』という表示板。

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(肝心な方向からずれてる…)
北条氏の居城であった長浜城。その対岸、狩野川河口に武田氏が三枚橋城を築城し、水軍を配置。
対する北条氏もまた、水軍を強化。伊勢出身であった梶原景宗を大将に、西国で発達していた大型軍船『安宅船』を用いた船隊を置いた。対峙する武田水軍との戦いで有利になる足がかりとなった水軍基地が長浜城だったのでした。

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櫓の下に戻り、そこから通ずる道を進む。

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腰曲輪と呼ばれる場所へと至る。

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腰曲輪(A~D)の案内板。

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細長く続く腰曲輪。主に軍船などで城に攻め入ってきた敵を撃退するための場所であったという。

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先へと通ずる道。

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おそらく手付かずのまま残っているものと思われる。

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一番先端部分の腰曲輪D??

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流石にDまで行く気はなく、Cで引き上げた。

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重須側のガイダンスへ向かって降りてゆく。

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石垣??

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行き止まり付近。柵が途切れている先に階段があり、重須側ガイダンスへ下りる階段がある。

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山肌を最大限生かした階段という事か。

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重須側ガイダンスを望む。
中央に鎮座するのは、北条水軍が用いた大型軍船『安宅船』の大きさを表したもの。

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現在の船だと…千鳥観光汽船やあわしまマリンパークが運行している小型船より一回り大きく、伊豆箱根船舶及び千鳥観光汽船が湾内めぐりなどに使っている大型船より小さい…という具合か。

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重須側ガイダンス広場の案内板。
当時の重須側は広い入り江で波も穏やか。安宅船を係留しておくには適していたとされている。また、この重須地区には、北条水軍・梶原影宗総大将他、将兵たちが居住していたとも言われている。

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安宅船に関する説明の数々。

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海を臨む山城。そして対峙する敵軍との戦いに備えた水軍基地であった長浜城。
沼津市教育委員会により、史跡として整備される前は、弁財天へ参拝する人しか登らない小山だった。今では看板によってどの場所に何があったという説明があり、この長浜城がどういう城であったのか、そして当時の人が見ていたであろう景色を、時代は変われど眺めることができる。

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というわけで、長浜城址レポートでした。
この後、熱中症っぽい症状を起こして体調を崩したというのは公然の秘密…。

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